タイタニック号が最後に撮った衝撃的な写真の数々 3
タイタニック号のポスターを買う女性
沈没の悲劇的なニュースが流れてからまもなく、この悲劇を利用して利益を得ようとする人々が現れた。露天市や起業家は小さな像やポストカード、新聞などを高値で売り始めた。この写真の女性は、沈没のニュースからまだそんなに日が経っていないにもかかわらず、タイタニック号のポスターを買い求めている。
中には救命ボートから略奪をはたらく者までいた。タイタニック号の記念品などの価値は上がる一方であるため、こうした狼藉でさえも、利益を生むことは間違いなかった。
群衆、生存者のイギリスへの帰還を迎える
老若男女問わず、人々がベルファスト造船所のゲートに集まっている。彼らは心配そうにRMSラップランド号の帰港を待っているのだ。ラップランド号は大西洋を渡り、タイタニック号の生存者172名を再びイギリスへと運んだ。
ベルファストの群衆は、ニューヨーク市の群衆と比べるとわずかだと言える。ニューヨークでは1912年4月18日、何万人もの人々がカルパチア号と生存者を一目見ようと港に集まった。
審査委員会で証言する男性
人々の悲しみが怒りに変わるまで、そうはかからなかった。多くの人々が不沈船とうたわれた遠洋定期船がなぜ処女航海で沈没したのか疑問に思い始めたのだ。カルパチア号がニューヨークに着く前に、ホワイトスターライン社はすでに審査委員会を設ける体制を整えていた。
委員会は、氷山の警告を無視したことに加え、不十分な救命ボートの数が、結果としてあまりにも多くの人の命を奪う羽目になった原因だと結論づけた。
裁判所の外で待つ乗組員達
この写真は沈没で犠牲になることから免れた乗組員らが、ホワイトスターライン社の審査委員会が裁判所内で議論を終えるのを辛抱強く待っている様子だ。生存者の多くがこの事故に対する弁済金をもらえる予定だった。
結局、ホワイトスターライン社は生存者と和解し、合計66.4万ドルを生存者に対して支払うことで合意した。700名以上の生存者がいたため、1人あたりおよそ950ドルが支払われたことになる。これは現在の価格だと、生存者は1人あたりおよそ2.2万ドルあまりを受け取ったことになる。
2人の幼い生存者、母親との再会を待つ
救命ボートには子どもを優先と言われたものの、タイタニック号の沈没で犠牲となった子どもは60名もいた。この写真は、救命ボートに乗れた2人の子ども、ミシェルとエドモン・ナヴラティルだが、2人はニューヨークで無事確認された。不幸にも、2人の父親はタイタニック号沈没の際に、子どもらを救命ボートに乗せた後、タイタニック号と運命を共にした。
ナヴラティル兄弟は、母親をフランスに残したまま、二等船室の乗客として父親と旅していた。この幼い兄弟がついに母親に会えたのは数週間後のことだったが、彼らはタイタニック号のサクセスストーリーの1つと見なされている。
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