2600年前の戦士の遺体は13歳少女
ギリシャ神話に登場する、女性だけの部族で構成される伝説の戦士部族「アマゾーン」は伝説上の存在とされてきたが、実はかつて、中央アジアで勢力を誇ったスキタイ人がモデルだったという説がある。
今回、これまで少年だと考えられてきた2600年前の戦士の遺体が、じつは13歳の少女であることが判明したそうだ。アマゾーンの正体がスキタイ人であるという説がまたも裏付けられたそうだ。
30年前に発見された若い戦士の遺体
1988年、現トゥヴァ共和国サリグ・ブルン(Saryg-Bulun)で半ばミイラ化した若い戦士の遺体が発見された。保存状態は良好で、顔のいぼも確認できるほどだった。
お腹には荒い縫い目があり、ミイラにするために処理されたらしきことが見て取れた。その一方で、そうした遺体によく見られるトレパネーション(頭蓋骨に穴を開けること)が行われた形跡はなかった。
副葬品には、斧、カバノキの弓、矢筒に入った70センチの矢10本といった武器一式が揃っていた一方で、ビーズや鏡などの遺体が少女であることを示すものはなかった。
そのために発見当時は少年の遺体と考えられた。
矢尻は2本が木製、1本が骨製、1本が青銅製 image by:A.Yu. Makeeva
最新の調査により13歳の少女戦士であることが判明
それから時が流れ、分析の技術も比べ物にならないくらい発達した。
そして、このほどモスクワ物理技術研究所の研究チームがDNA検査を行った結果、じつはようやく13歳になったくらいの少女だったことが判明したそうだ。
「武器と一緒に埋葬されていた子供の遺体は、初期遊牧社会の社会構造について新しい見方をもたらしてくれます」と、1988年に遺体を発見したマリーナ・キルノフスヤカ氏(サンクトペテルブルク物質歴史文化研究所)はコメント。
この意外な新事実は、スキタイ人社会の新たな側面を現代に伝えるとともに、専門家はヘロドトスが伝えたアマゾーンの伝説へ目を向けざるを得なくなるだろうと彼女は話している。
伝説の女戦士部族アマゾーンとスキタイの女性戦士の関係
ギリシア神話に登場するアマゾーンは女だけの戦士部族で、小アジア(現トルコ)のテミスキラを本拠地としていたと伝えられている。
アナトリア半島にその武勇を轟かせるが、英雄ヘラクレスやアキレウスとの戦いで衰退し、最後は女王を討ち取られて滅亡した。
長いこと伝説上の存在で実在した部族ではないと考えられてきた。しかし今では、紀元前9~2世紀頃に中央アジアで勢力を誇ったイラン系遊牧騎馬民族「スキタイ」を見た古代ギリシア人が、その文化や習慣を誇張して伝えたものという説が有力だ。
スキタイでは女性の地位が高く、女であっても幼い頃から戦う訓練を積んでいたことで知られている。また「エナレス」という男が女になる謎の病気が伝えられている(ヒポクラテスによると、馬の乗り過ぎが原因らしい)。
古代ギリシアの医師ヒポクラテス(紀元前460~360年)もまた、スキタイ人の1グループで、馬上での戦闘に長けた「サルマタイ」という遊牧民には女戦士がいた旨を記している。
女たちは処女であるかぎり馬に乗り、馬上で弓を射て、槍を投げ、敵と闘う。敵を3人屠ると処女を捨て、伝統の神聖な儀式を受けてから結婚する。ひとたび夫を娶れば、遊牧でやむを得ぬ場合以外は馬に乗らない。
副葬品の1つである戦斧(左)と1本のカバノキから作られた弓(右) image by: A.Yu. Makeeva
毛皮のコートを着て埋葬されていた少女戦士
少女の戦士は、トビネズミの毛皮で作った膝下まである長袖のコートを着た状態で埋葬されていた。
その下にはシャツを着ていたが、こちらはすでに失われてしまっている。さらに薄茶色とベージュのズボン(スカートである可能性も)を履いていた。
頭には革製の帽子をかぶっており、そこには赤い染料で螺旋状の装飾が施されている。
少女がかぶっていた革製の帽子。赤い螺旋模様の装飾がある image by:Vladimir Semyonov, V.S. Busova
ベルトに通された革製の矢筒 革製の矢筒image by:
少女が生きていたのは2600年前だと推定されている。棺は木製で、50センチほどの深さのところに南西へ向けて埋められていたとのことだ。
image by:Vladimir Semyonov
References:siberiantimes / ancient-origins./ written by hiroching / edited by parumo
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